『はたらく魔王さま! 〈4〉』和ヶ原聡司(アスキーメディアワークス)読了

人間VS魔族の対立構造がさらに見えてきて、だいぶ着地できそうな感じはしてきた。

ただ、殺し、殺されていたことについてはやっぱり軽いんだよね。それらが日常であった世界での価値観、とも考えられるけど、だとしたら現代日本に馴染んでコミカルを演じてる姿と整合しない。まあラノベに求めるなと言われればそうかもしれないけど、本作品では骨子だと思うから。

『はたらく魔王さま! 〈3〉』和ヶ原聡司(アスキーメディアワークス)読了

魔王と勇者の正体がおぼろげながら見えてきた。

魔王の存在自体の不自然さにもいちおうの理屈がつく方向に向かってると思うが、人間界に侵攻して殺戮の限りを尽くしたことについての説明にまで至るのか。

  • 実は人間側の情報操作だった
  • 実は侵略(さまざまな意味で)していたのは人間側だった
  • 人間と魔族に不幸な行き違いがあった
  • 互いの生存権を賭けた戦いだった

今までを見るにどれでもないんだろうけど、はたしてどうか。

『はたらく魔王さま!』和ヶ原聡司(アスキーメディアワークス)読了

日常系ドタバタに魔王と勇者という要素を放り込んだといった作り。それなりにこなれてて気持ちよく読めるようにはなっていた。

が、異世界で文字通り血で血を洗う戦いを繰り広げていた魔王と勇者の現代社会での溶け込みっぷりはコミカルではあるもののご都合主義的な印象は拭えなくてどうにも違和感が残る。

なぜ、世界を征服しようと人間を殺しまくっていた魔王が、現代社会ではこんなに丸くなっているのか。「あんまり人間のこと知らなかったし」とか「人間と魔族ってそういうもんだろ」とかってのはあまりに軽すぎる。

世界移動の際に、その精神になんらかの変化があったとか、勇者と出会うまでに経験してきた人間界での出来事が影響を与えたとかいろいろ説明をつけられなくはないだろうけど、異世界での戦いの表現で「血臭」とか書いといてそれなねーよなーと冷める。

東京がめちゃくちゃになるほど戦っても死者ゼロとかなんかヌルすぎて……。今後、コミカルに徹するんならいいんだけど、これでシリアス持って来られるとなあとは思うな。

ま、いちおう続けて読む。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない (12)』伏見つかさ(アスキー・メディアワークス)読了

長きにわたって続いてきた「俺妹」もこれにて大団円(なんだろう?)。

しかしまあ「これは荒れるでぇ」というラスト。個人的には、京介の決断や、ラストの流れ自体は否定しない(もっとも、それなりに重大な問題を提起してる割には中身が浅薄だとは思うけど)。十分にありえる選択だと思う。ただし、そこに至るまでの描き方には疑問符がつく。

前者については、京介の一人称による語りとはいえ、それほど大事な決断を下そうとするには、桐乃への思いが語られなさすぎるのではないかとか、後者については、あのラストに持っていくために、怒涛かつ不自然なフラグ折りに終始したとか。

そして最大の疑問は、本作品終了後、彼・彼女らは普通の兄妹に戻れたのかということ。まあでもこれは、そういった疑問を持つようにしてるのかな。

しかしそもそも筆者は書き始めた当初からこのラストに向かっていたんだろうか? どうにも座りの悪い感は拭えない。

ただ、あとがきによると、『十年目の再会』という物語が終わってから十年後の話がBDの特典小説としてつくらしい。ここでなんらかの結論が示されるのかもしれない。相変わらずけむにまくだけかもしれないけど。ともあれそれまでもうちょっと保留かな。

『渚にて―人類最後の日』ネビル・シュート(東京創元社)読了

人類最後の日がカウントダウンされるとして、みんながこれほど穏やかに過ごせるとは考えにくい。そういう意味で、本作品はSFではなく、ファンタジィだと思うけど、一つ一つともしびが消えてゆき、最後に緩やかな波だけがひいては寄せる渚だけが残る風景ってのはなかなかに感慨深い。

もはやおぼろげにしか覚えてないけど、『終末の過ごし方』もこんなだったよな。

『レトリック感覚』佐藤信夫(講談社)読了

衝撃。

筆者いわく、もともとレトリックは「他人を説得し、言い負かす技術」であり、そこから「芸術的あるいは文学的表現の技術」へと歩を進めた。そして、それらは時とともに軽んじられるようになったが、じつはレトリックにはわたしたちの認識をより正確に記述するための「発見的認識の造形」という役割があったのだ――。

続いて引用。

森羅万象のうち、じつは本名をもたないもののほうがはるかに多く、辞書にのっている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかの知れた自分ひとりの気もちを正直に記述することすらできはしない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れられたのだろう。本当は、人を言い負かすためだけではなく、こよばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。(p.26)

唖然呆然。まったく筆者の言うとおり。どうしてそんなことを忘れられたのか、自らを省みて、その思慮の浅さに恥じ入るばかり。

さまざまなレトリックについての考察もなかなか興味深いものもあったけど、ある意味上記を指摘した序章1が俺にとってこの本のすべてといっても過言ではないくらい。

名著です。